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2017年3月 2日 (木)

Second Life■Second Lifeはニュータウンなのか?

 アメリカのリンデンラボ社が開発・運営する仮想空間Second Lifeの日本語版がリリースされて約10年。これまでのSecond Life(以下SL)の日本人コミュニティを振り返ってみると、ニュータウンと呼ばれる地域の変遷と似ていることに気づく。
 ニュータウンは、1960年代から高度成長期、人口増加に伴う住宅供給と都市計画によって郊外に大規模な団地群を中心に数百人、数千人の規模の町が作られた。新しい住民による新しい町であり、住民の多くは若い夫婦とその子どもという構成だった。それから40年、50年という月日が流れ、子供たちは独立しニュータウンを離れ過疎化が指摘されると共に、住み続ける親世代の高齢化も問題となっている。
 一方SLは、2007年に日本語版がリリースされた当初、仮想空間内でのビジネスチャンスという触れ込みもあり、まさに爆発的に参加者が殺到し、日本人ユーザーが運営するSIMも増殖を続けていった。しかし3年、5年と経つうち離れていくユーザーも目立ち始め、円/ドルのレートによる課金負担などの事情も絡んでこの2、3年は2007年当時の日本人ユーザー数とは比べ物にならないほどログインユーザーの数は減っている実感がある。また2007年から10年が経ち、ユーザー個人の環境も変化しているはずである。仕事や結婚、出産といったことをきっかけにログインしなくなる、できなくなることはもちろん、10年という歳月自体がユーザーにも加わり、高齢化も指摘できる。もともとユーザーの平均年齢が高いといわれる日本人コミュニティであるので、40代、50代のユーザーは珍しくないだろう。
 こうして並べてみると確かにSLとニュータウンのたどってきた道は似ているように思える。ニュータウンが50年の歳月をかけた道のりをSLは10年で歩んでいることになるが、SL内の時間の流れ、現実世界の3倍~6倍ということを考慮に入れると実はその過程はより相似しているとも言える。
 新しい環境で自分たちの街を造るというニュータウン、何もない空間で自由に生きるSL、両者はスタート時に於ける夢や希望という点でも共通性があったのではないだろうか。また都市計画や仮想空間の立案、設計に係わった人びとから見れば、現実は必ずしも理想通りにはいかないということなのかもしれない。

 停滞するコミュニティの活性化を目指して、ニュータウンもSLもさまざまな試みを繰り返してはいるものの、成果という点では両者共に決定打に乏しい。特にSLについて言えば2007年時点と大差のないイベントを繰り返しているように見え、SLという世界自体の、そこに集まるユーザーの変化に着いていけていないという印象すらある。これには残ったユーザーのみで楽しめばいいという閉鎖した感覚があるのではないだろうか。そのこと自体を完全否定するつもりはないのだが、それだけではコミュニティは縮小し消滅していくだろう。ニュータウンという現実のモデルを参考に、SL日本人コミュニティの活性化を模索していく時期なのではないかと個人的には考えている。

Suzukaze2016_014

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